3つに分けて覚えよう!平安時代の権力の移り変わりと文化の変化

皆さんこんにちは!

 

 

マッソーです!

 

 

 

さあ、次回で奈良時代が終わり

今日から平安時代ですね!

 

 

平安時代といえば

平安京」ですかね!

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上から見るとこのような

 

碁盤の目のような

 

キチッとした真っ直ぐな道が

 

東西南北に伸びていることがわかります

 

 

 

そして、

平安京といえば

有名な語呂がありますね!

 

 

知ってる人も多いと思います!

 

 

794年 平安京遷都

鳴くよ(794)ウグイス平安京

 

 

 

が1番有名でしょうか?

 

ちなみに「遷都(せんと)」

とは都を移すことですね!

 

 

 

さあ、

 

平安時代を3つに分けると

言いましたが

 

分け方は

 

・前期

・中期

・後期

 

とかで行きましょう

 

 

この三つの期間で何が違うか

というと

 

 

権力者の種類

文化の違い

 

 

と言えるでしょう!

今回は大まかな内容を

見ていきましょう

 

 

 

まず平安前期!

権力者は天皇でした

 

 

桓武天皇(かんむてんのう)

平安京に遷都をした後

 

桓武天皇の子孫たちが

次々と権力を握っていきます

 

奈良時代天皇中心の

国造りだったことから

そのまま流れを継いだ形になります

 

そして文化の面で言うと

弘仁貞観文化(こうにんじょうがんぶんか)

 

遣唐使がまだ健在だったため

それらを取り入れた

中国風の文化というのが特徴です

 

 

 

そして

平安中期!

 

権力者は

貴族でした!

 

主な人物としては

藤原良房(ふじわらのよしふさ)

藤原道長(ふじやらのみちなが)

 

などの人物が有名です。

 

上記の2人は

摂政・関白

という役職に立ち

 

権力を握っていきました

 

 

次!

文化の面では

 

894年に

菅原道真(すがわらのみちざね)

によって

遣唐使が廃止され

 

唐との交流が弱まります

 

そして

日本独自の文化が生まれます

 

国風文化と言います

 

 

 

最後!

平安後期では

 

武士権力を握ります

 

先ほど述べた

貴族の藤原道長の子ども

藤原頼通(ふじわらのよりみち)

 

彼は子宝に恵まれず

その跡をつくものがいませんでした

 

これをチャンスと考えたのが

白河上皇(しらかわじょうこう)でした

 

上皇」とは

天皇のお父さんのことですね

 

そしてこの上皇

実権を握る政治を

 

院政といいます

 

院政の「院」とは

上皇の家のことを言います

 

「院」で行った「政治」

院政ですね!

 

 

そして上皇

この院の警備を

 

武士に任せます

 

これによって武士の

地位が上昇

 

力をつけて行ったわけですね!

 

 

そして文化の面では

中期と同じく

国風文化が流行します

 

 

 

 

今回は平安時代を大まかに見ていきました

 

次回からは

 

前期、中期、後期

細かく見ていきましょう!

 

 

それではまた今度

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました!